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愛知県芸術劇場へ、
財津和夫コンサート スペシャルゲスト姫野達也
を見に行って参りました。
中学生の頃、ラジオから流れてきたチューリップの音楽に衝撃を受け、
僕が音楽を始める切っ掛けとなっただけでなく、
財津さんの人柄や性格、人生そのものが変わってしまいました。
もし、財津さんに出会っていなかったら・・・
上京する事もなく、今こうして音楽活動自体する事もなく、
チューリップのメンバー丹野義昭さんにお会いする事もなく、
コンサートを見ながら別の人生の可能性を考えたりしておりました。
今回久々に財津さんのコンサートへ行きましたが、
年を取られて声の艶が大分無くなりましたが、
相変わらず彼のボーカルは心にドーンと突き刺さります。
決してオーバーな感情移入はしていないのに不思議です。
共演の姫野さんのボーカルと比べてしまいましたが、
心への歌詞の迫り方が全然比較になりません。
財津和夫さんは正に、
”本当に天性の才能を持った選ばれしボーカリスト”
と改めて実感出来ました。
そしてチューリップの元メンバー姫野達也さんとのコラボは、
初期のチューリップの楽曲中心となりましたが、
かつてビートルズに影響された和製サウンドと言われていましたが、
今の時代に聴いてもアイデア豊富でとても新鮮、
このサウンドが1970代初期に発表されていたのは驚き!
日本のポップス界に革命をもたらした理由が分かりました。
こんな凄い事をやってのけたチューリップサウンドを、
知らない世代が多くなり、忘れ去られていく・・・
非常にもったいなく思いました。
そして、同メンバー安部俊幸さんに関しては、
開幕前に追悼の字幕が出た他は、
ライブ中は特に話題に触れることなく、
彼との共作作品を多く披露する形で、
追悼ライブになったと思います。
もし、この場で安部さんが隣で演奏していたら・・・
僕は何となく彼が二人と共に演奏している空気を感じました。
Birth.4.20、A型、愛知県生。3才の頃よりクラッシクピアノを始め、中学の時、財津和夫率いる「チューリップ」の音楽にショックを受け弾き語りコピーを始める。同時期よりギター、作詞作曲を始め、メジャーデビューを志す。高校時代ではバンドを組みドラムスを担当。
上京し、音楽学校でジャズ理論、コンピューターミュージックなどを学ぶ。この頃より、AOR(アメリカ西海岸音楽)に強く影響を受け、日本語によるオリジナルAORの制作を始める。卒業後は、各種イベントや映像音楽など数多く提供。さらなるヴォーカル力向上の為、安田直弘、譜久里ゆかり、楠木勇有行らに師事し、自身のライブ活動、デモ制作を続ける。
2001年レーベルのオーディションに合格。2003年一人多重録音による日本後AOR「CRY」発売(全国流通)。好評を頂きオリコンデータベース登録(メジャー登録)される。同年プロベーシスト山之内伸治らと「弁天社中」結成。東京でのライブ活動後、’06脱退。
現在は愛知へ帰省し、地元名古屋を中心にレストランやバーなどでの弾き語り活動、楽曲提供などにも幅を広げている。